子育て世代必見!【大切なことはすべて子どもたちに教わった 前編】

子育て世代必見!【大切なことはすべて子どもたちに教わった 前編】

元校長先生が聞く ○○のハナシ

対談第9回

第9回 昭和大学大学院准教授 副島賢和先生×元東京都小学校校長 村松守夫先生

この連載では、ポピーで長年子育ての悩みに寄り添ってきた「ポピー教育対話主事」の先生方が、様々な分野で活躍中の方へインタビューします。第9回目の対話主事は村松守夫先生です。

お話を伺ったのは、ホスピタル・クラウン、「あかはなそえじ先生」として注目される副島賢和先生。17年間の教師生活、病院の院内学級の担任を経て、現在、病気の子どもの教育に関するさまざまな活動、講演活動に注力されている副島先生に、子どもとの向き合い方、関係性を深めていくコツなどについて伺いました。

副島賢和(そえじま・まさかず)先生

副島賢和(そえじま・まさかず)先生

1966年、福岡県生まれ。昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、昭和大学病院内学級担当。大学卒業後25年間、教員として都内公立小学校に勤務。99年、在職のまま東京学芸大学大学院で心理学を学ぶ。2006年から品川区立清水台小学校さいかち学級(昭和大学病院内)担任、14年4月より現職。09年、ドラマ「赤鼻のセンセイ」(日本テレビ)のモデルとなる。11年、「プロフェッショナル仕事の流儀『涙も笑いも、力になる』」(NHK総合)に出演。著作に「あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ――ぼくが院内学級の教師として学んだこと」(教育ジャーナル選書)、「あのね、ほんとうはね――言葉の向こうの子どもの気持ち」(へるす出版)など。

村松守夫(むらまつ・もりお)先生(ポピー教育対話主事)

村松守夫(むらまつ・もりお)先生(ポピー教育対話主事)

大阪府出身。都内私立大学卒業。
42年間の教員時代は、都立立川ろう学校を最初に小学校10校を経験する。
校長としては13年間、3校の学校経営を行う。
専門は社会科教育と特別支援教育。日本教育技術学会会員。
2024年度より、全家研ポピー教育対話主事に就任。インスタライブや動画での情報発信、教育講演会に力を注ぐ。

小学校から院内学級の学級担当へ

副島賢和(以下、副島)私がこちらに来たのは19年前です。「さいかち学級」は、正式には「東京都品川区立清水台小学校昭和大学病院内さいかち学級」と言います。昭和大学病院中央棟7階にあり、昭和大学病院に入院している小学生が学習を行う場所です。

村松 入院している子どもは、院内学級に通うのも大変なのでは?

副島 もちろん、そういう場合もあります。体調により教室に来られないときは、こちらが病室に出向き、ベッドの上で学習することもあります。 

村松 それは大変ですね。

副島 いえいえ、子どもたちからはエネルギーをもらっています。私にとってそれはとても大きなもので、また頑張ろうという原動力になっています。

村松 どういう経緯で、院内学級の先生になられたのですか?

副島 17年間、地元の小学校で教師をしていて、体育を担当していました。健康に自信があったときは、休み時間も子どもたちとボール遊びをするようなタイプでした。

村松 子どもたちと熱血的に向き合うタイプの先生だったのですね。私も若いときは副島先生と同じタイプの教員でした(笑)。

副島 病気になり、3回の入退院を経験しました。当時は生意気な教員で、校庭で子どもと元気に関わるのが教師の本分、当たり前のことだと思っていましたから、体がしんどくなって、もう教師の仕事はムリかな…と思うようになりました。

村松 辞めなかった理由は?

副島 子どもたちとサッカーをしている最中、心臓が苦しくなって朝礼台のあたりで休んでいたら、ふだんはそういう遊びに加わらない子どもたちから声をかけられたんです。「先生、どうしたの?」「う~ん。ちょっとしんどいから休憩するんだ」という会話をしました。そのとき、目が覚めたような気持ちになりました。

村松 というと?

副島 そこにいる子どもたちの存在に、改めて気づいたのです。それまでの自分は、日常的にあまり活発ではない子も目にしていたのに、「見えていなかった」と反省しました。そして、学校に来ることもできない病気の子どもたちの教育はどうなっているんだろうか…と。それでいろいろ調べてみたら、病弱教育なら子どもたちと走り回れない自分でも何か出来るのではないかと思ったのです。

村松 当時、公立小学校からの異動は大変だったでしょう?

副島 紆余曲折あって、当時の上司、教育委員会、昭和病院の関係者、さまざまな方のおかげで、今、こうしていられると思っています。人と人のつながりに感謝しています。ご縁をいただいたことに、ひたすら頭が下がる思いです。

院内学級で子どもたちから 教わったこと

村松 子どもたちとの関わりで、印象的なエピソードは?

副島 たくさんあります。一番に思い出すのは、私に「ここでやっていくんだ」という覚悟をくれた女の子(4年生)のエピソードです。「もし大人になれたら…」という話です。

村松 著書にも書かれていますね。

副島 はい。「さいかち教室」に来て、1か月ぐらいだったと思います。悲観的じゃなく、むしろうれしそうに、「わたし、もし大人になれたら、詩を書く人になりたいの」と言われました。

村松 「もし」という表現が切ないですね。

副島 そのとき、彼女が悲観的な様子だったら、私の受け取り方は違ったと思います。明るく、大人になることをネガティブにとらえてはいないけれど、「もし」という言葉を付け加えたことに衝撃を受けました。

村松 著書でそのくだりを読んで、涙がこぼれそうになりました。

副島 そのとき、私は「逃げるんじゃないよ」と言われている気がしました。それまで、子どもたちには大人になることを当たり前のように教室でしゃべっていましたから。「今」を大切にしなきゃいけないとつくづく思いました。

村松 ほかには、どんなエピソードが?

副島 2つ目は、「ぼくは幸せ」という詩を書いた男の子の話です。彼は、みんなが幸せと思わないことも、僕には幸せだと思えることがあると表現しました。病気だからこそ、ふだん気づかない幸せに気づけることもあるのだと感銘を受けました。

村松 病気を経験された副島先生にとっては、共感できるところですね。

副島 「ぼく諦めないと生きていけていけないんだよ」という、2年生の子の言葉にも、ハッとしました。

村松 それは衝撃的ですね。

副島 私は子どもたちに対して「諦めないことが大事」だと言っていたのに…。彼の言葉に絶句し、そういう状況に置かれている子もいるのだと実感しました。ただ、彼は生きていくことは諦めていません。それが救いでした。教師として、諦めないことの大切さをどう伝えればいいのか。今でも考えています。

「いのち」の大切さを教えたい

村松 「いのち」の大切さを教えることに関して、どう考えていますか?

副島 親として、教育に関わる者として、とても気になることだと思います。院内学級でも、自死を考える子、実際に自死する子が増えているのが気になります。そもそも、「もうここにいたくない」と言う子は、あまりここには帰ってきません。逆に、「頑張ります」と言う子は、帰ってくることが多いのです。それも、ボロボロになって。

村松 それは痛ましい…。

副島 子どもたちには弱音をはいてほしいのです。私は、しんどくなったらいつでもおいでという場所をつくりたかったのです。だから…。

引き続き後編では、副島先生に子どもとの向き合い方、寄り添い方などをお聞きします。

【後編】に続く

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