子育て世代必見!【子どもの「好き」を大切にするために 前編】

子育て世代必見!【子どもの「好き」を大切にするために 前編】

元校長先生が聞く ○○のハナシ

対談第10回

第10回 マンガ家・大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長 里中満智子さん
× 元京都市立小学校校長 太田由枝先生

この連載では、ポピーで長年子育ての悩みに寄り添ってきた「ポピー教育対話主事」の先生方が、様々な分野で活躍中の方へインタビューします。第10回目の教育対話主事は太田由枝先生です。
今回お話を伺ったのは、現役のマンガ家として作品を創作し続けながら、大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長や日本漫画家協会理事長を務めるなど、マンガ界の発展に関わる役職にも数多く就かれている里中満智子さんです。

里中 満智子(さとなか・まちこ)さん(マンガ家・大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長・公益社団法人 日本漫画家協会理事長)

里中 満智子(さとなか・まちこ)さん(マンガ家・大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長・公益社団法人 日本漫画家協会理事長)

1964年、16歳の時に『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞しプロデビュー。代表作に『あした輝く』『アリエスの乙女たち』『海のオーロラ』『狩人の星座』『北回帰線』『マンガギリシア神話』『古事記』など多数。1997年、第1回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。2006年に全作品及び文化活動に対して文部科学大臣賞を受賞。2010年文化庁長官表彰受賞。2023年文化功労者に選出。日本漫画家協会理事長、マンガジャパン代表理事、大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長など。50余年に渡り500タイトル以上の作品を発表している。歴史を扱った作品も多く、持統天皇を主人公とした『天上の虹』は32年かけて完結した。

太田 由枝(おおた・ゆきえ)先生(ポピー教育対話主事)

太田 由枝(おおた・ゆきえ)先生(ポピー教育対話主事)

京都府京都市出身。教職修士。
1982年より京都市立小学校教諭、2014年より京都市立小学校校長。専門は国語科教育、メディア教育。小学生アナウンスコンクール審査員・作文コンクール審査員など、「話すこと・書くこと」「伝えること」領域での実践が豊富。2020年4月より、全家研ポピー教育対話主事に就任。教職経験を生かした子育て情報の発信や教育講演会などで活躍中。

『天上の虹』(全11巻)(講談社漫画文庫)
舞台は古代大和。大化の改新から始まる激動の時代を鮮やかに生き抜いた女性がいた。
里中満智子さんがライフワークとして、32年間描き続けた

マンガ家になって私が『鉄腕アトム』を守る

太田:私も少女マンガ雑誌をよく読んでいたのですが、里中さんは当時から本もマンガもお好きだったのですか。

里中:本であればなんでも好きな子どもでしたね。江戸川乱歩や瀬戸内晴美などの少年・少女向け小説もよく読みました。
マンガでも小説でも「物語の世界」に浸るのが大好きだったので、人物描写や物語の背景まで深く描かれていた手塚先生の作品に魅力を感じたのは、必然だったかもしれません。

太田:ただ、当時は「マンガ=悪書」という時代でした。私も布団に隠れてマンガを読んでいた記憶があります。

里中:子どもながらの「背徳の喜び」ですね(笑)。
私が恐ろしかったのは当時の「悪書追放運動」で、そのリストに大好きな『鉄腕アトム』も入っていたことです。その理由は「ロボットが感情を持つなど荒唐無稽であり、子どもが間違った科学知識を得て道を誤る」というバカげたものでした。つまり、子どもを信頼していないのです。いくら子どもといえど、描かれていることが夢か現実かぐらいわかりますよ。
それでも、このままだと『鉄腕アトム』もマンガ自体もこの世から消されてしまうかもしれない、その焦りと「誰かがマンガの味方をしなければ」という思いが、マンガ家を目指した原点だったといえます。

「夢が叶うといいね」そのひと言に支えられた

太田:マンガへの激しい逆風の中で、里中さんがマンガ家を志されたことは、大変な決心だったと思います。

里中:「マンガが好き」とすら言えない時代に、女子中学生が「マンガ家になりたい」と言い出したわけですから、親も先生もびっくりですよ。
実は、小学生の頃から成績は良かったので、周りは「将来は医者に」とか「女性でも外交官を目指して」なんて勝手に期待をふくらませていました。それがマンガ家ですから、先生には「目を覚ませ」とか「勉強しすぎて疲れたんだ」とか言われるし、母にも猛反対されました。

太田:それでもご自身の「好き」を貫き通された、一番のモチベーションはなんだったのでしょうか。

里中:反骨心ですね。「絶対に見返してやる!」と、むしろ燃えていました(笑)。
同時に、プロのマンガ家になれる確証はなかったものの、当時は情報が少ない時代でしたから、もしダメだったらマンガ雑誌の編集者になるとか、そういった選択肢が浮かばなかったんですよね。
ただ、担任だった女性の先生だけは応援してくださいました。ある時、その先生に「里中さんの進路の件で、先生方が困ってるよ」と声をかけられました。私は「また何か言われる」と身構えたのですが、先生はこう続けました。「私、どうしたらマンガ家になれるかわからないから、アドバイスしてあげられなくてごめんね。でもその夢、叶うといいね」と。
マンガを読みもせずに反対する大人が多かった中、「マンガのことはわからない」と正直な気持ちで応援してくださったことがうれしく、大きな安堵感に包まれたことを今でも覚えています。

その先生とは、卒業後も交流が続き、私が高校2年生で大手出版社の新人賞をいただいた時も、マンガ家として仕事が順調に進み始めた時も、とても喜んでくださいました。
こうした方々の存在があったからこそ、あの時代にマンガ家を目指すことができたのだと今でも感謝しています。ちなみに、猛反対していた母は、私が新人賞を受賞すると「さすが私の娘だ」と180度言うことが変わっていました(笑)。

デビュー作品『ピアの肖像』サンコミックス版(絶版)

後編では、子どもの「好き」を応援する親御さんに、里中さん流アドバイスを紹介します。

【後編】に続く

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